2014.12.22 Monday
飯を食うてから、それが血肉になるには時間がかかる
だよね。
以前にスクールに参加した時に、参加されていない方に当日に「で、上手くなりましたか?」と聞かれたことがありました。
先日も、同じ武術の先生に師事している方が「お話を聞いていて、突然空が晴れ渡ったように目の前がひらけることがある」と言われていました。
俺、それ、ないんですわ。
そういう「わかったぞ!エウレーカ!」という快感、一回もない。
なんでも身につけるのに、時間かかりますねん。天才型ちゃいますねん。
「そうか!」と思う時がないかといえば、ありますよ。それはあります。でも、それで突如出来る様になることは、残念ながら、無いです。
「そうか!」でその時は出来る。出来るような気になる。(もしくは、出来ない、でも、なにか気になる何かを掴んだような気になる。)
そういう事はあります。
でもそれで「何かを出来るようになった」かというと、そんなことはなくて、
持ち帰って、日常動作なり、ライディングなり、武術稽古しながら、「そういえば、あの時…」と思い出しながら、自分なりにそれなりに考えてやってみる。
それで、結果として、先生の言ったように出来るか?というと、出来ないんですよね、これが。
でも、それが無駄だったか?というと、多分、そうではない。
2ヶ月ぐらいかかって「消化して、血肉になった」ものは、必ずある。
今の自分は、2ヶ月前の自分とは、絶対に違う。
でもそれが「ココ!」というターニングポイントなり、ティッピング・ポイントがあるわけでは無いんです。
多分、「守破離」でいうと、先生の言った通りにやる「守」までが、なっかなか出来ない、感覚的に言うと大体2ヶ月かかる(もしかすると、ずっと出来ない)がゆえに、守に近づこうとしつつも、自分なりに破離をしているのかもしれません。
「それは我流だろう」と言われれば「確かにその通り」なのですが、「守に近づこうとする意志のある我流」は完全な我流とは違うはずだ。
そう思います。