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居室待機

書を持ち野に出よう
飯を食うてから、それが血肉になるには時間がかかる
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    だよね。 以前にスクールに参加した時に、参加されていない方に当日に「で、上手くなりましたか?」と聞かれたことがありました。 先日も、同じ武術の先生に師事している方が「お話を聞いていて、突然空が晴れ渡ったように目の前がひらけることがある」と言われていました。 俺、それ、ないんですわ。 そういう「わかったぞ!エウレーカ!」という快感、一回もない。 なんでも身につけるのに、時間かかりますねん。天才型ちゃいますねん。 「そうか!」と思う時がないかといえば、ありますよ。それはあります。でも、それで突如出来る様になることは、残念ながら、無いです。 「そうか!」でその時は出来る。出来るような気になる。(もしくは、出来ない、でも、なにか気になる何かを掴んだような気になる。) そういう事はあります。 でもそれで「何かを出来るようになった」かというと、そんなことはなくて、 持ち帰って、日常動作なり、ライディングなり、武術稽古しながら、「そういえば、あの時…」と思い出しながら、自分なりにそれなりに考えてやってみる。 それで、結果として、先生の言ったように出来るか?というと、出来ないんですよね、これが。 でも、それが無駄だったか?というと、多分、そうではない。 2ヶ月ぐらいかかって「消化して、血肉になった」ものは、必ずある。 今の自分は、2ヶ月前の自分とは、絶対に違う。 でもそれが「ココ!」というターニングポイントなり、ティッピング・ポイントがあるわけでは無いんです。 多分、「守破離」でいうと、先生の言った通りにやる「守」までが、なっかなか出来ない、感覚的に言うと大体2ヶ月かかる(もしかすると、ずっと出来ない)がゆえに、守に近づこうとしつつも、自分なりに破離をしているのかもしれません。 「それは我流だろう」と言われれば「確かにその通り」なのですが、「守に近づこうとする意志のある我流」は完全な我流とは違うはずだ。 そう思います。
    | 身体運用 | 10:12 | comments(0) | - | - |
    左右の目で見た2つの像を脳は一つの像として処理している、ということを普段僕たちは認識できていないし、できたとしたら相当に不便に感じると思う
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      落語でこんな話がある。
      非常にケチンボな人が、「目が2つあるのはもったいない」と常に片目をつぶって生活をしていた。 その人が年をとって、いつも使っていた方の目がダメになった。 そこで、「今日からこっちを使おう」といつもつぶっていた方の目を開けたら、そこにいたのは知らない人ばかりだった。
      要は「右目と左目で見えているものが違う」ということだが、こういうことは本当にあるのではないか?と思う。 私の子供は斜視がひどくて、学校に上る前に斜視矯正手術をした。 ざっくり説明すると斜視というのは、昔で言うヤブニラミ、ロンパリのことで、左右の目が違う方向を向いている状況だ。 これを、眼の周囲の筋肉を調整して、同じ方向に向くようにするのが斜視矯正手術だ。 このオペをした後に言ったのが 「お母さんが二人おる!」 だった。 今まで、斜視の状況で左右の像が脳に入っていたものを補正して一つの像として処理していたものが、 突如としてそれに「ずれ」が生じたため、脳が処理しきれなくなって「2つ」の像を見せたんだろう。 だが、それもたがだか1〜2日で言わなくなった。 新たに脳が「このずれのある像は一つの像である」と認識しなおして、処理をし直すようになったんだろう。 人間の脳の処理能力というのは凄いもんである。 逆に言うと、「相当にずれた像」であっても、「認識できないように」「一つの像として」「処理」されてしまうんだろう。 このあたり、「感覚」というのは、鋭ければいいのかというとそうではなく、「便利なように」脳が処理するのだろう。 何でもかんでも「感覚が鋭い」というのは、多分不便なものなんだろう。 だって左右の目で違う人が見えたら、やはり相当に不便だと思うな。
      | 身体運用 | 02:03 | comments(0) | - | - |
      好き嫌いはいけません
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        身体感覚が鋭敏なのは日常生活の助けとなりうるのか?ということを最近時々考える。 よく古武術クラスタなどの方々が 「身体の感覚を研ぎ澄ませて」 いる記述を見かける。 これは身体感覚を使う、ヨガなどの方の記述にもよく見られる気がする。 例えば、物を両手で持つのに、右手から持つのと左手から持つのと感覚が違う、などの記述だ。 それ自体は「遊び」としては面白い、と思う。 自分の体でできる手品、もしくはジャグリングを見せられているようで「おー」と単純に、楽しくもある。 しかし、その感覚が本当に「ずっと感知できる」としよう。 絶対音感風に言えば、「絶対身体感覚」かな? このことは、日常生活を送る上で助けとなるのだろうか? 伝聞でしか無いので確かではないが、絶対音感を持つ人は、すべての音、生活音も何もかもが音階を持って聞こえるという。鬱陶しいんじゃないかなぁ。 人間は、感覚の相当の部分を大脳で補正している。(ということを先ほど書いた。) それはそれで「ソッチのほうが便利」だからじゃないの?と思う。 さらに 身体感覚を鋭く!鋭く!すべて感知できるように! と心がけている方々は、往々にして「食べ物や飲み物を取った時の体調変化」にも興味が出てくるようで、往々にして「肉を食べると体調が悪くなるので、食べない」「糖質を取ると(略)」「炭水化物を(略)」「砂糖(略)」などと言い出すことがちょくちょくあるように思う。 面倒くさいねん、一緒に焼き肉、行かれへんやん。 何かを食べるとどう、ってのは、酒を飲み過ぎるとバカなことを言い出すとか、翌日二日酔いになるとか、その程度のことだけわかっていれば充分だと思う。 鈍感な方が生きやすいってこと、あると思うぞ。
        | 身体運用 | 02:03 | comments(0) | - | - |
        ナンバ歩き/甲野先生動画
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          先ほどの「不整地ではナンバ歩きがオススメ」エントリをFBで紹介したところ「ナンバってなんですか?」という質問を受けました。 体をひねらない歩き方…と言っても、なかなか文字だけでは説明しづらいので、youtubeでナンバ歩きを説明する甲野先生の動画を見つけたので貼っておきます。 甲野先生、若いな…だいぶん前の動画だと思います。甲野先生は「常に進化し続ける」武術家ですので、今のお考えとは少し違うかもしれません。
          | 身体運用 | 10:07 | comments(2) | - | - |
          受け身で人生が開けた
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            昨年の10月、バイクで事故を起こしました。 片側1車線の幹線道路を走っていたところ、交差点を超えてバックして止まったタクシーを発見「マナー悪いタクシーやな。これはドア開くな。」と右側を通り抜けようとすると、タクシーは右折急発進、避けようとしましたが急発進したタクシーを避けきれず、前輪あたりに激突しました。 その時、ボンネット上を飛び越え、宙を飛んでアスファルトに叩きつけられた… ら、多分、人生終わっていたと思います。 この衝突でバイク、タクシーとも全損廃車、すっ飛んだバイクで道路横のフェンスも破損したような状況です。 この状況でも、ボンネットを超えて地面が近づいた時に、右手から受け身に入り、キレイに右肩から左下半身の方に前回り受け身を取ることが出来ました。 これによって頭を打つこと無く、ヘルメットにも目立った破損はありませんでした。 これ、受け身を取れなかったら、私、死んでましたわ。 受け身で人生が開けた、といいますか、DEAD ENDフラグが立っていた状況から、「武術のお陰で生き残れた」わけです。 世の中にはあまたのスポーツありますが「これをやっていたおかげで生き残ることが出来た」といえるのは、武術ぐらいではないでしょうか。 本当、受け身がとれるかどうかで、生き残るか死ぬか、生き残ったとしてもその後の障害状況とか「人生に大きく影響する」わけです。 みんな、武術やろうや。絶対役に立つぞ。
            | 身体運用 | 10:07 | comments(1) | - | - |
            不整地ではナンバ歩きがオススメ
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              先日、ランバージャックス加古川の面々と夢前川に行ったときのこと。 夢前川 足元はサワーシューズで万全なこともあり、下流に向かって歩いて行ってみました。 万全といっても川の中、こぶし大以上の石でガレガレ、ただし石は丸く、滑りやすいという「バランスの取りにくい」状況です。 しかも水の流れで足をすくわれるしね。 今までだと踏ん張って、妙なところが疲れたり、最悪転んだりしていたと思います。 「踏ん張らない」「バランスを崩したら膝を抜く」「そのままへにゃんと尻餅をつくように崩れる」について、気をつけて歩いてみました。 これはなかなか…「早く歩ける」わけでも「ズンズン歩ける」わけでもないですが、なんとなーく進んでいきます。 足元に水の抵抗があるので、なかなかナンバも難しいのですが、最後の方は何とか膝を抜いてナンバらしきもので歩けるようになったように思えます。 「手を大きく振る」「右足を出すときは左手を出す」西洋式の歩き方とは バランスを崩しながら歩く 不安定さを作り出したものを吸収せずに反対側の筋力で受け止める というものです。 ナンバにはこのような不安定さはありません。 ナンバ歩きとは別に「右手と右足が同時に出る」ものではなく、膝の抜きによって上下の位置エネルギーを前方の運動エネルギーに変えているだけ、ですので、腕の振りが不要になります。 体のひねり具合によっては右足がでるときに右手が出ることもあるでしょうし、逆に作用反作用で「右足を出すときに左手がわずかに振れる」こともあるでしょう。 しかしながら「重心が常に真ん中にある」わけで、特に不整地歩行では安心感があります。 「膝を抜く」時にわずかに下る、その分、足が前に出る、だから軸足は踏ん張らない、このような不整地では最適の歩き方ではないでしょうか。 そしてこれを意識しておけば、バランスを崩した時に踏ん張って「限界を超えた」時に一挙に大きくバランスを崩して変に転倒すること無く 「バランスが崩れれば更に膝を抜く」とコンマ数秒ですが体重がフリーになりますので、体勢を取り戻すキッカケになりますし、 まぁそのままヘニャンと尻餅をつくように崩れてやれば、膝関節のクッションで「あ、座った」程度の転倒?で済みます。 身体もほぐれるし、なかなかこれはいい鍛錬になりますねぇ。 --- このような身体運用は是非とも古武術の遊武会でどうぞ!
              | 身体運用 | 03:07 | comments(1) | - | - |