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居室待機

書を持ち野に出よう
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左右の目で見た2つの像を脳は一つの像として処理している、ということを普段僕たちは認識できていないし、できたとしたら相当に不便に感じると思う
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    落語でこんな話がある。
    非常にケチンボな人が、「目が2つあるのはもったいない」と常に片目をつぶって生活をしていた。 その人が年をとって、いつも使っていた方の目がダメになった。 そこで、「今日からこっちを使おう」といつもつぶっていた方の目を開けたら、そこにいたのは知らない人ばかりだった。
    要は「右目と左目で見えているものが違う」ということだが、こういうことは本当にあるのではないか?と思う。 私の子供は斜視がひどくて、学校に上る前に斜視矯正手術をした。 ざっくり説明すると斜視というのは、昔で言うヤブニラミ、ロンパリのことで、左右の目が違う方向を向いている状況だ。 これを、眼の周囲の筋肉を調整して、同じ方向に向くようにするのが斜視矯正手術だ。 このオペをした後に言ったのが 「お母さんが二人おる!」 だった。 今まで、斜視の状況で左右の像が脳に入っていたものを補正して一つの像として処理していたものが、 突如としてそれに「ずれ」が生じたため、脳が処理しきれなくなって「2つ」の像を見せたんだろう。 だが、それもたがだか1〜2日で言わなくなった。 新たに脳が「このずれのある像は一つの像である」と認識しなおして、処理をし直すようになったんだろう。 人間の脳の処理能力というのは凄いもんである。 逆に言うと、「相当にずれた像」であっても、「認識できないように」「一つの像として」「処理」されてしまうんだろう。 このあたり、「感覚」というのは、鋭ければいいのかというとそうではなく、「便利なように」脳が処理するのだろう。 何でもかんでも「感覚が鋭い」というのは、多分不便なものなんだろう。 だって左右の目で違う人が見えたら、やはり相当に不便だと思うな。
    | 身体運用 | 02:03 | comments(0) | - | - |