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日露ワイズ交流
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    ロシア、エカテリンブルククラブMs.ラリーサ歓迎会 皆様、ズドラーストヴィチェ!(こんにちわ) 昨日(3/27)はロシア・エカテリンブルククラブのMs.ラリーサをお迎えしての歓迎会を行いました。今回はその場で直接教えていただいたロシア語でご挨拶です! エカテリンブルクは二次大戦時でドイツの猛攻にあってモスクワやレニングラードなどから重工業が疎開してきたことにより、重工業が盛んな都市となりました。 昨日Ms.ラリーサに「大戦以前のエカテリンブルクにも重工業はあったのか?」と聞いたところ、「それ以前は鉱業があるぐらいで、重工業はなかった。戦争の時にいろいろな工場が出来て飛行機や戦車などを作っていた。多くの人もその時に集められた、私のおじいさんもそう。」と教えていただきました。 ロシア/ソビエトは中央集権的でした/ですので、国家統制下で一挙に街を作り上げる、ということが出来たのでしょう。 さて、私が生まれた時から日本とロシア(当時ソビエト)は冷戦下にあっての西側東側陣営に分かれていましたので「近くて遠い国」でした。 ですが、地理的歴史的に考えれば、日本にとってのロシアが「一番近いヨーロッパ先進国」なのは、昔も今も変わりません。 思えば日本が近代化後、はじめて先進国と戈を交えたのもロシアであり、そして色濃く欧州文化に浸ったのも、その日露戦争の結果として得た大連だったのではないでしょうか。 大連は日清戦争後の三国干渉の結果としてロシア租借地となっており、ロシアの手によるロココ調に彩られた欧州風の建物郡を得た日本は「これぞ欧州」との思いで、それを真似て欧州風の大連市街を整えたのでしょう。 さらに、昨日の話題にもあがったドストエフスキーの作品群を読みますと、ロシア自体にフランスなどの欧州文化に対するあこがれも強くあったように思えます。 それ故、欧州でフランス革命以前の一時期の流行であったロココ調を大連建築に採用したのでしょう。 ここでもロシアは「流行を取り入れて街を一挙に作り上げる」ことをしており、人が集まって徐々に街が「出来る」という自然な成り立ちとは違うように思えます。 だからこそコンセプトが似た建築物が並び、極東の新興国日本にもお手本としやすく、真似をしやすかったのでしょう。 未だに日本人がアンティークなどでのロココが大好きなのも、「これぞ憧れの欧州」という刷り込みがあるのかもしれません。 …と、いうことを昨日考えました。 昨日までは、戦記モノ、軍事モノで読み知っていたエカテリンブルクへの重工業疎開の話と、ドストエフスキーから読み取れるロシア人のフランス文化へのあこがれと、そして建築写真集で眺めていた大連ロココ建築を、少しでも結びつけて自分が文章を書くなどということは考えもしませんでした。 やはり人と人との語らいは、大脳を加速させます。面白いです。 さて、今週末(3/30)に予定されているワイズ研修会では「とにかく談笑をしましょう」ということをメインテーマにしており、しかも15名もの参加が見込まれています。どのような「語らい」があり、それが大脳をどのように加速させ、そしてどのような今後の展開があるのか?とても楽しみです。 では皆様、ダスヴィダーニァ!(さようなら。また会いましょう、の意味だそうです。) (4月会長通信採録)
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